当科の紹介

国外留学

森川 俊太郎 先生札幌医科大学 2007年(平成19年)卒業

初期研修医として入職した病院の小児科が北大の関連であったことがきっかけで入局しました。同じ北海道内で母校とは違う医局に入ることには正直迷いもありましたが、決め手となったのは、指導してくださった当時の指導医の先生方の存在と、北大小児科が持つ門の広さです。初期・後期研修を通じ、小児科医としての基礎を多くの先生から授かることができたのは、私にとって幸運でした。こどもの成長と全身の臓器をドラマチックに制御する内分泌の世界に魅力を感じ、後期研修が終了した時期に大学院へ入学しました。

もともと留学に興味があり、大学院の私の指導者であった田島敏広先生(現 自治医科大学小児科教授)に「留学したい」と勇気を出して相談した時のことは鮮明に覚えています。「え?!海外留学?森川みたいな人は…」と田島先生に切り出され、ああもうだめだ、留学なんて行けない…と一瞬覚悟しましたが、続く「…絶対に留学した方がいい」という言葉を聞いた時に一気に道がひらけた気がしました。医局の人手が少ない中で本当に留学に出してもらえるのかは最後まで不安でしたが、留学の人事を優先してもらえたことには感謝しています。しかし、出国3日前の深夜まできっちり外来と出張業務を行うことになったことは申し添えておきます。
学位のテーマであったWolfram症候群という病気に興味があったため、その疾患を研究しているアメリカのラボへの留学を目指しました。ラボの主宰者に連絡を取り、国内外の学会で実際に何度か会い、海外留学助成金への採用を条件に受け入れを許可してもらうことができました。幸いにして何とか留学に飛び出せたものの、bench workの経験が少ない状態で留学を開始したので全てが苦労の連続でした。研究テーマを自分で探り、詳しい人に教えてもらいながらも実験を進めていくことができ、正体不明な研究の底力だけはついたと自負しています。不器用で頭の回転の遅い私に何でもやらせてくれたボス、もがく私の姿をそっと見守ってくれたラボのメンバーには感謝しています。

もしも海外留学に興味があって悩んでいるのであれば間違いなく挑戦するべきだと私は思います。渡航先の国の文化や治安、留学先ラボの事情、グラント、自分の年齢、医局の人事、自分や家族の健康、子供の教育、経済的な負担、(研究留学であれば)臨床から離れることなど、乗り越えるべき壁はたくさんありますが、その価値は十分にあります。患者さんを直接診る「医者」であることを一旦離れられたこと、多くの人に出会えたこと、家族との時間がたくさんあったこと、子育ての大変さを小児科医として心の底から実感できたことなど、実際にやってみないことには分からないことがたくさんありました。研究はもちろん、こういった経験は間違いなく自分の糧になっています。
北大小児科は、私が思い切り留学させてくれるためのサポートをしてくれました。迷っているのであれば絶対挑戦してみて欲しいです。できれば北大小児科で。

右から2番目が筆者

阿部 二郎 先生旭川医科大学 2006年(平成18年)卒業

Youは何しに北大小児科へ?

自分にはあまり計画性がないので、何をしに北大小児科に来たのかという質問に対し、きちんとした答えを持ち合わせていません。後付けで理由をつけるのであれば、北大小児科への漠然とした憧れや、研修施設で研鑽を積む中での人との出会いが影響したのかもしれません。高校生の頃だと思いますが、北大小児科主催の遺伝子治療の記者会見を地元大阪で観て、遠い国の出来事のような印象を受けたことを今でも覚えています。北大小児科の関連施設で働くことを通じて、小児科医として必要な能力や知識を身につけられたことはもちろんですが、諸先輩方から数多くの考えるためのヒントを与えていただいた気がしています。そこにある生きた知恵は人間にできることの限界や、それを乗り越えていこうとする不断の努力の必要性を今も教えてくれています。

専門は循環器ですが、患者数が多いだけでなく、機器計測で得られる物理的パラメーターが多いため難しくてとっつきにくそうな分野でありながら、対応を失すれば子どもの生命に直結するという心臓特有の専門性は小児科医として魅力的に映ったことを覚えています。ちょうどその頃の循環器班は従来の形態学優位の小児心臓病学から分子生物学的な研究にパラダイムシフトし始めたところであったので、タイミングにも恵まれたと思います。1年間の臨床トレーニング期間を経て、2014年から2016年まで2年間病院と向かい合わせのキャンパスにある薬学研究院でミトコンドリアへの薬物送達を研究しました。ミトコンドリアは効率的な電子伝達からの酸化的リン酸化を介したATP産生だけでなく、原子力発電所に例えられるように、電子伝達に伴うフリーラジカル産生を行い細胞の恒常性維持を担っています。この恒常性が何らかの原因で心臓特異的に破綻した状態が典型的な心不全の分子機序と考えられています。ですから私の仕事は心筋細胞のミトコンドリアにアプローチするような創薬研究をデザインすることからスタートしました。心筋細胞を扱った研究がしたくて後輩の伝手を辿り、旭川医科大学のラボで心筋前駆細胞の単離からLAD手術までを一通り習いに通ったのは良い思い出です。2017年に学位を取得したわけですが、その後も脈々とリサーチマインドが同僚に受け継がれているのをみると感慨深いものがあります。

ケンブリッジ大学MRCミトコンドリアバイオロジーユニットへの留学経験

現在の所属先は2つあり、1つはMBU/MRCのMike Murphyラボ(https://www.mrc-mbu.cam.ac.uk/research-groups/murphy-group)で、2つ目はアデンブルックス病院研究棟のThomas Kriegラボ(https://www.krieglab.com)でどちらも英国のケンブリッジ大学の研究室です。MRCは米国のNIHのような国立研究機関であり、古くはワトソン・クリックから最近ではミトコンドリアATP合成酵素構造を解明したJohn Walkerまで著名な科学者を輩出しています。その中で異彩を放つミトコンドリア研究に特化した部門がMBUであり、サンガーの弟子でもあったJohn WalkerがMRCの独立した研究機関として立ち上げ、世界中から集まったPI、ポスドク、大学院生から構成されています。Mike Murphy (以下マイク)もそのP Iの一人で創設当初からいる重鎮の一人です。彼はアイルランドをバックグラウンドにもつレドックス反応を専門とするミトコンドリア生化学者で、共同研究者のThomas Krieg(以下トーマス)はドイツにバックグラウンドがあり、循環器医師兼P Iで病院内の研究棟にラボを構えています。2つのラボは歩いて10分程の距離にあり、マイクとトーマスはお互いの研究分野にないものをうまく補い合っているように思えます。ミトコンドリア研究をベースに週2回のミーティングなどで緊密に連携を取りながら、研究室のメンバーを目的に応じて流動的に動かしています。マイクの研究室はメタボローム解析を得意とし、研究対象はレドックス解析を中心とした低分子送達、代謝免疫、硫黄呼吸、腎移植などと幅広く、トーマスは医師であり動物実験のエキスパートなので、マウスを使った心臓虚血再灌流傷害や脳梗塞モデルによる薬理学的な研究を主に行なっています。私のここでの役割を簡単に述べると、トーマスラボで心筋梗塞モデルを使って創薬候補化合物をテストし、その効果判定をマイクのラボに戻ってメタボローム解析などで評価することです。英国は政府の動物実験規制が厳しく、長期間のトレーニングを必要とし、ライセンスで厳密にできることが制限されているため動物を扱える人材は重宝されます。ヒトの開心術と変わりのない精度でのマイクロサージェリーを要求されており(死亡率の高い手術はライセンスをリスクにさらします)、全身麻酔と点滴静注を含めて行うので、これまで小児科診療で養われた技術がここでも生きている気がします。尾静注は難易度が高いようで、同僚からは点滴を頼まれたりもします。

日常診療においても分子生物学的なセンスを求められる時代となっており、海外留学はその延長線上にあると思います。マイクやトーマスと初めて会ったのは2017年の夏のことなのでそれから5年程の紆余曲折がありましたが、ここで学ぶ価値は想像を遥かに超えていました。ミトコンドリアが進化の方向性を決め、細胞の生と死を理解する上で欠かせない器官であることは常識になりつつあると思いますが、個体レベルでの病気を決定づける上でも大きな役割を果たしていることがわかってきています。その鍵となるのがミトコンドリアで行われている数々の代謝反応であり、代謝物を介したクロストークを解明する意義は病気を理解するだけでなく、創薬にも大きく関わってきています。

国外留学に興味のある先生へ一言お願いします

日本で行ってきた研究や仕事を話す機会もあるので説明すると皆さん興味をもって聴いて、たくさんの質問をくれます。その1つ1つが日本では受けたことのない類の質問ばかりで驚かされましたが、これが文化の違いなのだと私なりに理解しました。日本で行っていた動物生存試験は英国のHome Office(政府機関)基準ではhumanityの観点で承認が得られないようですし、細胞から動物まで実験を一人で行う日本式研究スタイルは狂気の沙汰に映るようです。英国伝統の功利主義的な考えはこの辺によく現れている気がして、米国系のラボで際立つ成果主義ともスタイルが異なっているようであり(米国帰りの同僚が多い)、国によっての違いに面白さを感じたりします。

子どもが成長発達とともに自分のcomfort zoneから自然に離れていくように、大人も自分の興味や関心で環境を変えていくのは自然なことだと思います。国外留学を検討されるような段階の方々は、そのまま自分のやりたいことに向かって、手順を踏んで前に押し進めていけばいいと思います。自分の当たり前が通用しない世界が待っていますので楽しんでください。そして海外が遠いと思っている若い人たちこそ、チャンスを見つけて(少し無理をしてでも)留学することをお勧めします。現地に行ってしまえば自分の世界観が変わり、また新たな道が開けることでしょう。

研究室旅行2022(ブライトン)

クリスマスディナー

MTG meeting @Caius college 2023

研究室旅行2023(マラケシュ)

中島 翠 先生旭川医科大学 2004年(平成16年)卒業

初期研修中に出会った尊敬する小児神経科医の先生が北大小児科出身であったから。
より多様性のある環境が魅力的だったから。

私は関連病院での研修の後、神経グループとして大学院に戻り、主に難治性てんかんの脳磁図研究を学びました。その後、小児難治性患者の発作治癒を目指し、大学院4年目(2013年)にカナダ、トロント小児病院神経生理学研究所で脳磁図を用いた限局性皮質形成異常の研究、診断技術(AdSPM)の開発に携わりました。現在、同院でAdSPMはてんかん外科術前に臨床応用されその精度の向上に貢献しています。
その後、同院神経科で臨床医として働き、世界水準で体系的な医学教育と北米での標準的治療を学びました。またトロント小児病院では、日常的に多数の様々な人種、言語、文化、宗教を背景に持つ患者様に対応しており、多様性に対しても一貫した高い水準の医療の提供を保障するために構築された様々なシステムを学ぶことができました。
最も大変であったことは、極めて理論的で体系化された医学教育の中で培われた膨大な理論と知識を持つ同僚達と対等に渡り歩くために毎日猛烈に勉強をしなければならなかったことと、評価に耐えうる研究、臨床そして教育を両立して行うことでした。

前列左から2人目が筆者

北大小児科神経グループには、皆さんの夢を叶えるために最大限のサポートを行える環境があります。もし皆さんの中に、留学したいけど、何をどのように準備したらよいのかわからない、北米での医学教育、臨床に興味がある方や、または医療の国際化とはどういうものか興味のある方などありましたら、いつでも声をかけて下さい。皆さんのお力になれるように私もがんばります。皆さんにお会いできる日を心より楽しみにしております。