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学生・研修医の方へ 当科の紹介
学生・研修医の方へ 当科の紹介
道外出身者の方へ
北海道は本州でいうと関西から関東に至る広大な大地を占めています。北大小児科は北海道のほぼ全域をフィールドとしています。小さな町医者から大病院の専門医療まで、全ての規模の医療がここにはあります!
関連病院一覧地図
道外出身者の方へ
北海道は本州でいうと関西から関東に至る広大な大地を占めています。北大小児科は北海道のほぼ全域をフィールドとしています。小さな町医者から大病院の専門医療まで、全ての規模の医療がここにはあります!
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北大小児科でできる10のこと

関連病院の所在地=北海道の観光地です。
ふと一息つきたい時、少し車を走らせればそこには大自然の絶景が広がります。

  • ニセコエリア:倶知安厚生病院(目の前に羊蹄山が広がります)
  • 帯広大平原:帯広厚生病院、帯広協会病院
  • ウトナイ湖:王子病院(ラムサール条約で保護される野鳥の聖地が広がります)
  • 釧路湿原:釧路赤十字病院(夏はノロッコ号やカヌーで湿原を一周できます)

言わずと知れた、北海道は名湯の宝庫!
ガイドブックに載っている温泉はもちろんのこと、通しか知らない温泉・穴場情報に詳しい医局員がたくさんいます。

医局員竹崎俊一郎先生が選ぶ関連病院周辺温泉ランキング!
1.アサヒ湯(帯広厚生病院・帯広協会病院)
2.アヨロ温泉(日鋼記念病院、苫小牧王子病院)
3.祝梅温泉(千歳市民病院)

札幌市には札幌交響楽団というプロオーケストラがあり、毎月定期演奏会をしています。
バレエの聖地でもあり、熊川哲也さんは北海道出身です。
毎年夏にはPMF音楽祭というバーンスタインが作った音楽祭が街中で開催され世界中の若手音楽家が集まります。
Kitara、hitaluという二つの大きな音楽堂を有しています。

ラフティング、キャンプ、スカイダイビング、カヌーとアウトドアには事欠きません。

キャンプ大好き某医局員が選ぶ道内キャンプ場ランキング!
1.ニセコサヒナキャンプ場(倶知安)
2.星の手とどく丘キャンプ場(旭川)
3.美笛キャンプ場(支笏湖)

夏だけでなく、冬も北海道は忙しいほどにアウトドアスポーツが充実しています。

  • スケート:道東は冬になると校庭に水をまき、スケートリンクに変身します。
    プロのアイスホッケーチームも存在します。
    小学生は皆マイシューズを持っています!
  • スキー:ニセコ、札幌、小樽エリアは世界からスキーヤーが集まる良質な雪質を誇ります。
    北大からの最短スキー場は車で15分です。
    札幌市内の小学生の冬の体育の授業はもちろんスキーです。
  • カーリング:北見エリアは一躍有名になったカーリングのメッカです。

少し高台に足を延ばせば、見事な夜景が広がります。

1.函館(言わずと知れた日本三大夜景)
2.札幌(日本新三大夜景)
3.室蘭(工場夜景好きにはたまらない!)

日本一広大なキャンパスを誇る北海道大学。
構内には農学部や獣医学部の牧場もあり、毎日牛や馬が放牧されています!

お寿司、ジンギスカン、和牛、たこしゃぶ・・・。
選ぶのが難しいほどにおいしいものがあります。
ちょっと入った回転ずしがもうおいしすぎ!
必ず医局員が皆さまをおいしいお店にお連れします。

我々は医師不足の地方に協力するため、出張で道内各地の乳児検診や学校検診に伺います。
電車はもちろん時には飛行機も使って。
そこでは日頃見られない光景も目の当たりにします。
たとえば、冬は鶴居村での丹頂の舞、日高地方のサラブレッドの雄姿など。
絵葉書になりそうなそのままの光景が目の前に広がります。

知床、北海道・北東北の縄文遺跡群と車で2個も世界遺産に行けちゃいます!
この北海道、数百年前は日本本州と異なり独自の文化があった未知の歴史が多い土地です。
先住民であるアイヌ民族の文化に始まり、五稜郭、モヨロ貝塚など歴史好きを飽きさせません!

道外出身者の声
道外出身者の声

研修から北大
T先生
出身地:神奈川県
卒業:2001年(平成13年)
現在の勤務先:北海道大学病院

  • T先生の声

    • 神奈川出身(北海道に親戚や友人なし)
    • 高校生の時、北海道に住みたい+北大キャンパスに憧れ。
      ドラマ(中山美穂主演で遠距離恋愛がテーマの「逢いたい時にあなたはいない」)も関係あり??
    • 北大に入学できず
      医師国家試験受験の結果を待たずに北海道へ
      →北大小児科に入局
    • 札幌は衣食(+飲)住+遊?に最適な街ですし、関連病院で勤務する地方都市には、「会うべき先輩」をはじめ、「見るべき場所」や「入るべき温泉」や「食べるべきモノ」がたくさんあります!
    • 幅広い領域をカバーしている医局です!!医学部のみならず基礎の先生とのコラボもできます!

就職後北大
青柳勇人先生
出身地:千葉県
卒業:1991年(平成3年)
現在の勤務先:帯広協会病院

  • 青柳勇人先生の声

    私にとっての十勝

    20年以上前の話である。そのころ、都内の某病院で働いていた。循環器グループに属していたので、子供の心臓の手術の日などは泊りがけで院内にいることが多かった。とある早朝、患者さんの処置をしたあと、ふと窓の外をみると、首都高の高架にはトラックがズラッと並んで渋滞していた。こんな朝早くからご苦労なことだ。アスファルトとコンクリートでできた、休むことを知らない人工的な都会。どのみち自宅と病院の往復の生活なら景色のよいところで働いてみたいなと思った瞬間だった。
     物心がついたころからは千葉県に住んでいた。関東平野はどこまでも平坦で、特に首都圏郊外は住宅の途切れることのない単一な風景で、私にとってあまり魅力的には見えなかった。学生のころから、時間があれば日本中あちこち貧乏旅行に出かけていた。なかでも北海道に行った時に受けた感動は強烈にその後も残っている。日本らしくない風景。飛行機は一般的ではない時代、本州の端、青森からは青函連絡船に乗らなくてはたどり着けず、簡単には行けなかったことも憧れを強くしたのかもしれない。
     ちょうど、冒頭の勤務先の医局長が北大出身であり、お互いに背を向けて書類作業をしていた時、軽い雑談の中で、北海道で働いてみたいんですよと口にしたところ、あれよあれよという間に、北大小児科医局にご挨拶に伺う次第になり、次年度からの勤務も十勝・帯広と決まってしまった。今から考えれば、元の医局もよく許してくれたものだ。数年で戻ってきますから、と言っていたような気がする。だとするとだましてしまったことにはなる。かれこれ20年以上ここにいる。
     現在、私は立場上、初期研修希望者の面接を担当しているが、医師を志望した理由、当院を選んだ理由などを訪ねることが多い。皆さん立派な志望動機をお持ちであり、自分の過去を振り返ると恥ずかしくなってしまう。地域に貢献したいなどの立派な動機はなく、どのみち病院に縛られる生活になるのなら、空気がよく、住んでいて楽しい場所で働きたいと思ったのが正直なところだ。送り出す立場だった上司は「(おそらく診療内容にバリエーションが少なく)すぐに飽きるんじゃないか?さっさと戻ってこい」といって送り出してくれた。
     そんな瓢箪から駒の様に始まった北海道生活であるが、その土地に旅行で訪れるのと長く住むことには大きな差があるもので、住んでいなければ分からない体験は多い。例えば四季を通した変化などがそれ。水と空気がよいのは日々気分がよい。星空もきれいだ。冬は長く寒さはこたえるが、初夏の一斉に木々が芽吹く様は、大地のエネルギーに畏敬の念を覚える。庭の隅には勝手にアスパラが生えてきたり、ジャガイモやサケを山の様にもらったり。初めのうちは見るもの食べるものすべてが魅力的だった。では肝心の仕事は?先の上司の予想は大きく外れて、簡単ではなかった。一病院が抱える担当エリアは広大なのだ。牛の方が多いとはいえ、人間もそれなりに住んでいる。都市部の病院の様に専門色で住み分けしているわけではなく、患者は(子供は)あらゆる疾患を抱えて病院を訪れる。もちろん診断名は携えていない。優秀な人はその頭の中に、あらかじめ必要な疾患概念が網羅されているだろうが、ずぼらな私は予備知識は乏しく、出会った患者さんの疾患をその都度調べることで、コツコツと守備範囲を増やしていくしかなかった。残念ながら飽きる暇はなかった。
     植物は一見動かないように見えて、結構移動する。一つの個体が動くわけではないが、グループとしてみた場合、その場所が嫌いであれば、好む場所に移動している。人間が植えた場所が気に入らなければ、数年でその個体は消滅するが、好きな場所で芽吹いた子孫が、群落を形成するのだ。私は積極的に動くタイプではなく、事前に情報収集するのは苦手。たまたま派遣されたこの病院に居ついてしまったのは何故だろう。土壌がよかった?日当たりがよかった?
     長く住んでいるとよいことばかりではない。人がいればしがらみができる。患者さんに対しても長期的な付き合いが生じる。粋に感じるか負担に思うか、そのバランスはいつも微妙だ。病院組織、医療提供体制も常に動的平衡を保っていないといけない。人材の育成、経営の安定など管理しなければならないことは無数にあり、しかも同時進行。
     私にも転機となる時期は何度かあった。あのときはかなり確定的に十勝を去る決心をしていた。身辺整理をしていたころ、少しの休みをもらって、道内旅先に出かけた。最終日のニセコから戻る途中-ニセコの紅葉は美しかったが-狩勝峠を超えると眼下に十勝平野が広がる。一列につながる防風林、針葉樹の多い植生、広大な畑、十勝平野を囲む山々。とたんに奔流のような喪失感が襲ってくる。今更ながら一つの事実が、迫ってくる。もうこれからはこの景色は当分見られないのだと。
     その喪失感が決心を鈍らせたのかもしれないし、ただ単に優柔不断なだけかもしれないが、結局動かなかった。人との出会い、患者さんとのしがらみ、おかれた立場の変化などいろいろな要素はあるが、すべてひっくるめて十勝の土壌というものから離れられなかったのであろうか。どこで暮らしてもよいこともあれば悪いこともある。平均すればつらいことの方が多いのではないか。しかし、私の暮らしている場所では、山も木も、牛も鳥も、頑張って力強く生きている。もちろん本業の守備範囲である子供たちも。そういった生命のエネルギーの放射を肌に感じながら暮らせる場所であることは間違いない。

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医会長が、オンラインで個別に面談させていただきます!
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医会長 江川 潔

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